「リウマチ手記」 赤坂厚子 50歳 平成12年1月よりお世話になりましたが、最近右手中指のシビレもほとんど感じなくなりました。4年前よりの日々を振り返ってみようと思います。 身体の調子が良くなると、具合の悪い時の事を忘れてしまいそうになるということが、分かりました。リウマチのためにあんなに痛かったことも、思い出さなくなっていました。今痛みに苦しんでいる方に知らせたく、書きます。 思えば、平成10年ごろより、身体の調子が悪くなっていました。仕事のせいで、身体が痛いと思っていました。特に、腕、肘、二の腕、足の裏が痛く、足がむくみ腫れて、足は象さんのようです。そんな日が続き、また少し良くなったり悪くなったりしていました。 平成11年の5月頃、車に乗ってクーラーを入れると、すぐに足がかゆくなり、見ると赤い斑点が出ます。寒冷ジンマシンと言われて、治療にはかなり強い薬が必要だと言われました。渡された薬を飲んでから、足のリンパ腺より下が赤く腫れて、歩く事も大変な状況になり、また、それを抑える薬をもらい、飲みました。「何か状況が変わったら、大きい病院を紹介するから、入院するように。」と、言われました。皮膚科にかかっていました。2週間ぐらいで、赤みはとれましたが、象さんのような足で、スリッパで行動していました。足の裏は痛いままで、皮も破れ、切れて、血も出ます。 秋になり、首と肘が痛くて、接骨医院で牽引したり、電気治療、マッサージ、鍼と、色々やってみました。でも何の変化も無く、ますます痛く、冷たい水で洗い物をしようとして、水が右手にかかり、右手がシビレてました。首、腕、肘、また腕、肘と、一日中痛みが続いていました。痛みが呼び合っている感じで、平成11年の11月頃、整形外科に行きました。 「骨が痛いので、検査して下さい。」とお願いしました。レントゲンで調べてもらいました。骨に異常はないとの事、シビレに有効な点滴(ビタミンC)をしたり、薬も出ました。変化は無く、「血液検査をしたことがありますか?」と聞かれました。「何の検査ですか?」と尋ねると、リウマチの検査でした。「一週間後に結果が分かりますので、来て下さい。」とのことでした。 主人に、パソコンでリウマチのことを調べてもらいました。私の病状にかなり近い病気でした。私の一日を考えてみました。朝5時少しに起きます。でもすぐに着替えも出来なくて、足の裏がバンバンに腫れて、シャツのボタンがなかなか留められず、靴下を履くのも大変でした。骨に相変わらず痛みがあり、歩くのが大変で、足をすりながら歩いていました。靴は履けず、スリッパでした。朝、特に調子悪く、時間が経つと少しずつ動けるようになりました。痛い所を、一日中、自然と撫ぜていました。主人に言わせると、「毎朝、顔もむくみ、精彩がなく、具合悪そうな日々だった」そうで、「痛い、痛い!」と、主人に毎朝、言っていたそうです。 私は「リウマチに罹ったんだ。」と思いました。一週間後に整形外科に行き、結果を聞きましたが、「まだリウマチになっていない。」と言われました。でも「何年か後には、リウマチになるかもしれない。」と言われました。「また1年後にでも調べましょう。」と言われ、私は「1年も痛いまま、生活しなければならないの!」と思いました。主人にインターネットで調べてもらいました。私は化学物質に弱いので、「治療を考えて病院を選んだらいい。」とアドバイスされ、調べると、「一箇所しかない。それは、大阪の高槻の松本医院だけだ。」と言いました。主人は、整形外科に結果を聞く前に調べてあったようで、「リウマチに違いない。」と思ったそうです。 「検査に引っかからなかったけれど、松本先生の所に一度行って、診てもらいな。」と勧められて、平成12年の1月に、行く事になったんです。 寒い1月の吹雪の八雲より、列車で札幌に出て、飛行機で関空まで行き、そこから高槻 の松本医院へと行きました。問診表に記入し、手記を読んで、順番を待っていました。松本先生にお話した所、「リウマチだよ。」と一言、言われました。そして「検査は、色々種類があるよ。個人により、検査結果も痛さも違うよ。治してあげるよ。」と大きな声で言われました。「遠くから、誰かの紹介で来たの?」と聞かれました。「主人にインターネットで調べてもらい、来ました。」と言いました。「良いご主人をもったね。よく来たね。」と言われました。「騙されたと、思わなかったの?」とも言われました。先生には話しませんでしたが、「一回に、10万円とか言われたら、騙しかも。」と主人に言われていました。 「保険がきくものと、一部きかないものもあります。最初は検査をしたので、高くなりました。」と、受付のスタッフの方に説明され、2週間分の煎じ薬と、消毒薬、塗り薬、チューブの薬を頂きました。その日は、大阪に泊まり、次の日、帰りました。 10日後、電話で結果を聞きました。「リウマチの抗体が、普通の人よりも高く、60もあるよ。その他は、正常値ですよ。治るよ。」と、言われました。先生の煎じ薬は、@ABとあり、2週間目くらいより、痛みが少し取れてきました。先生に「リバウンドがあるかもしれない。」と言われました。 私は、小さい頃より皮膚が弱く、かゆくなり、皮膚科の軟膏・塗り薬を使っていました。塗るとすぐに良くなりますが、止めるとすぐかゆくなりの、繰り返しでした。(ステロイドの軟膏だったようです。)松本先生に、「煎じ薬の入浴剤でお風呂に入ると、良くなるよ。」と言われ、使ってみました。足も、煎じ薬をバケツに入れて、足浴をしたりもしました。一回目のかゆみも、まもなく取れました。 平成13年の正月より、高熱が出ました。目の前が白くなるような感じで、フラフラで、内科にかかりました。なかなか熱が下がらず、正月明けに、松本先生に連絡しました。「すぐにTELを入れてくれれば・・・」と、先生に叱られました。飲み薬を、すぐに送って下さいました。1月の中旬に、熱も取れて、良くなってきました。 その頃、痛みはかなり良くなっていました。手のシビレは、3本指から、中指だけになっていました。足はまだ、足首まで腫れていました。左の股は、良くなっていました。足の裏は、毎日軟膏を塗り、赤い靴下になっていました。歩くのは、良くなりませんでした。リバウンドは、その後、2回ありました。 今年(平成15年の4月)、松本先生の所に行って、「数値は、ほとんど正常ですよ。普通に暮らせるようになったでしょ。」と言われました。その時、ハッとしました。人間は欲のかたまりで、もっともっとと望みますが、普通に暮らせる事がどんなに良い事かと、思いました。 その時点では、右手の中指がまだシビレていました。先生は、「リウマチのシビレではなく、他の要因もあるかな。様子を見ましょう。」と言われました。 今は、朝起きる時、背中と手の指が痛いですが、すぐに着替えも出来るし、ベッドからも降りられます。前は、ベッドの高さを低くして、2階にも、一ヶ月に2回しか上がりませんでした。台所で煮物・揚げ物をする時、箸が使えなかった(前はお皿に、箸で移せませんでした。)のも良くなりました。痛い所を、よく手で撫でていましたが、今はほとんどしていません。9月頃より、中指も、ほとんどシビレません。 右手中指がシビレていたので、ペンを持つ事が嫌で、パソコンでメールを送ってと言われても、すぐにシビレて、マウスがうまく使えませんでした。 松本先生に、「手記を書くように。」と毎度言われ、「苦しんでいる人の為に、書くんだよ。」と言われて、今、やっとこ書けました。字を書くのも、やっとこですが、痛み苦しんでいる方に、少しでも分かればと思っています。書くのがまとまらず、書く順番もずれて、分かりにくくなったと思います。 書き忘れましたが、看護師さんにも、いつもいつも親身になって話をきいてもらい、一緒に御食事をした事もありました。 また鍼灸の先生にも、お世話になりました。お灸がこれほど良いものだということも、リウマチになったお陰で知りました。「痛い所に、一日何回でもいいからすることだ」と、毎回先生に言われ、写真を見たりしました。私は、少し良くなると止めては、また痛いとする、という感じでした。子供がその事に興味を持ち、専門学校の鍼灸課を受験する事になりました。鍼灸はなかなか難しく、長い修行が必要なので、仕事にする事が出来るか心配です。先のことは分かりませんが、現在進行中です。 「メールでよいから送って」と言われましたが、手紙にしました。字を書くことなどなく、すごく読みにくくなってしまいました。申し訳ありません。でも、本当に良くなった事を知らせたくて、書きました。有難うございました。 10月7日に、松本先生の所に出かける予定です。よろしくお願い致します。 2003年10月7日 北海道山越郡 赤坂厚子(50歳) |